【城東ローカルヒストリー】江戸時代から明治時代にかけて巡航船の中継地といして栄えた今福の物語

JR鴫野駅側から蒲生に向けて「しぎた橋」を渡ってすぐ右手に寝屋川にまつわる歴史が書かれた看板が設置されています。

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場所はこちら↓




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江戸時代から明治時代に寝屋川は大阪、北河内、中河内を繋ぎ交通の要路として、今福はその中継地として栄えたそうです。
ところが明治後期に相次いで開通した京阪電鉄国鉄片町線(現JR線)は今福を通らず
国鉄「京橋」、「放出」、「森ノ宮駅」、京阪電鉄「蒲生」駅まで歩いていかなければいけなかったそうです。そんな中、大正3年(1914年)天満橋~片町~鴫野橋~朝日橋~今福を往復する巡航船が運行され30人乗りで屋根があり板張りの腰掛けが設置され学生から砲兵工場へ通勤する人たちの重要な交通機関の一つだったようです。
初乗り4銭で以後一区間ごとに1銭あがる料金システムだったみたいです。

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当時の作業法被

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回数乗船券や学生用の定期乗船券

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しぎた橋(蒲生側からJR鴫野駅方面を向いた写真)

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奥にはタカラスタンダードが見えています。

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当時の中継地としての今福。

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現在の今福。

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栄えていたであろう中継地を勝手に想像してみる。

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なんだか清々しいですね~♪

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めっちゃ人のってる!!!いかにみんなが利用していたかわかる証拠ですね。



とまあ何気なく普段通っている道や眺めている風景も少し時代を遡れば現代の顔とは違った顔を見せてくれますね。意外と知らない、知ろうとも思う機会の少ない自分の街のちょっとした歴史を覗いてみるのも悪くないですね