【城東ローカルヒストリー】今福南「三郷稲荷大神」の側に大坂冬の陣古戦場 今福・蒲生の戦い跡の石碑が建てられています。

大阪冬の陣の古戦場「今福 蒲生の戦い跡」として今福南にある「三郷稲荷大神」の側に石碑が建っています。

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地図ではここ↓



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こちらに行くと見えているコンビニが「セブンイレブン大阪今福南1丁目店」になります。

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向いには城東診療所がドドンと健在。

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「三郷稲荷大神」

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たまたま通りかかった方にもお聞きしたんですがハッキリとしたことが分からないのでとりあえずまた別の機会に♪(どなたか詳しい方がいたら教えていただけると助かります)

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そしてその側に大阪冬の陣古戦場 今福・蒲生の戦い跡の石碑が建っていました。

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何やら綺麗なやあ~と思ってこちら側を見たら平成27年三月吉日!?って去年の話!?どおりで綺麗なワケだ。

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石碑の後ろに解説版が!

慶長19年(1614年)、大坂城攻撃のため、現在の天王寺、茶白山に本陣を置いた徳川家康の命により、今福・蒲生は秋田城主佐竹義宣、鴫野には米沢城主上杉景勝が、大軍の陣を置いた。
今福・蒲生と鴫野は大坂城の東北に位置している。旧大和川(1704年に付け替えられ、現在は大阪市と堺市の境にある。)をはさんで佐竹軍は北側の今福・蒲生、上杉軍は南側の鴫野と、南北に布陣した。豊臣秀頼大野治長に命じて三重の柵を造り、この地域を守っていた。

11月26日未明、佐竹軍は今福・蒲生方面を攻め、上杉軍は鴫野の豊臣側の砦に向かった。双方ともに豊臣方と激突し大坂冬の陣最大の激戦となったのである。初戦徳川方が優勢で、まさに砦を攻め落とそうとしていた時、大坂城内より木村重成後藤又兵衛基次が旗下の兵を指揮して駆け付けた。両勇将は先頭切って反撃し、破られた砦を取り返して勇猛に戦った結果、佐竹軍は死傷者続出。ついに佐竹義宣は鴫野の上杉軍に助けを求め、佐竹・上杉両軍が合流。ようやく豊臣方の追撃を食い止めることができたのである。

この今福・鴫野合戦では、両軍とも死傷者、数知れずであった。


と書かれていました。


まあこれさらっと書いてますけど、たかだか400年ほど前の話ですからね~。今まさにNHKの大河ドラマで「真田丸」が放送されてますが、その時代ぐらいの話なんですかね~。いや~ちょっと歴史を身近に感じますね♪

しかし木村さんや後藤さんやり手やったんでしょうね~♪豪傑って感じですね!

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その隣には「丸木舟出土跡」ということでこの付近で古代の丸木船が出土して、大阪城で展示されていたんだけれど、空襲で焼けてしまいました、というような事が書かれてありました。


とまあ何気なく普段通っている道や眺めている風景も少し時代を遡れば現代の顔とは違った顔を見せてくれますね。意外と知らない、知ろうとも思う機会の少ない自分の街のちょっとした歴史を覗いてみるのも面白いですね。


◇関連リンク
木村重成(Wikipedia)
後藤又兵衛基次